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「日本の古層」としての祭の本棚

以下は今から100年前の1917年に柳田国男東京大学での講義で述べた内容だ。

  

近年しばしば大学は職業教育であっては困るというような批評を耳にしたようだが、日本などは古いころから、学問は一つの職業教育であった。

柳田国男『日本の祭』角川ソフィア文庫

 同じような議論は100年後の今でも続いている。

この『日本の祭』については2冊目に紹介している。

 

 年中行事の民俗学

  

 

本書は「年中行事≒祭」の民俗学の大学教科書的な位置づけの本だ。

共同執筆で全12章+特論3章から成る。

 

冒頭で紹介した民俗学者柳田国男折口信夫などから始まる研究の紹介、各地域に残る言葉や祭の特色について述べている。

 

古来の日本の祭の特色は「神と共に食事をする」ことにあった。現代で「節句」とされるものはかつては「節供」で、共同体で集まり、神に供すると同時に一緒に食べたのだった。

それは「居籠り」「御籠り」として身を清めること(=物忌み)と繋がっていたようだ。 「物忌み」は現代では「モンビ」「モノビ」として「紋付を着る日」と解釈されているという。

 

日本の祭は、古来土着のものと仏教由来のものが混ざり合っている。例えば「盆」は先祖を迎える行事で、その一環として寺で「施餓鬼(せがき)」が行われるが、仏教では輪廻転生を繰り返すのであり、先祖を迎えるという考え方は日本のものだ(しかし仏寺で違和感なく行われている)。

 

さらに政治権力も年中行事に影響を与えている。1870年(明治3年)に「日本の船が国旗を揚げるべき祝日」を定めたが、それは民間の年中行事と一致していた。

しかし旧暦から新暦に代わる際、1872年(明治4年)の12月3日が1873年(明治5年)の1月1日となった。さらに1873年(明治6年)に天皇家の行事日が祝祭日に加えられることになり、1891年(明治24年)には法律で「祝日に小学校の校長は教育勅語を読み上げること」が定められるなど、ナショナリズムと祝祭日との関係は深まっていく。

現在の「建国記念の日」「春分の日」「昭和の日」「秋分の日」「文化の日」「勤労感謝の日」は戦前はそれぞれ別名で呼ばれた天皇家由来の祝祭日だった。

 

さらに、経済活動も年中行事に影響を与えている。

大阪の海苔業者の働きかけから始まったと思われる「巻き寿司の丸かぶり」や、クリスマス、バレンタイン、ハロウィンなども、もはや日本の年中行事の一環となっている。

 

柳田国男による100年前の東大白熱「祭」講義

 

 

『日本の祭』は柳田国男東京大学で行った特別講義を書籍化したものだ。

なぜ日本のエリートである東大生に向けた講義のテーマが「祭」なのかについては本書で述べられているが、簡単に紹介すれば「地元を離れて大学を出て高等な職業に就くに当たって、地元を離れたが故に触れることができなかった祭という土着文化を教養として知ること」を重視したからということになるだろうか。

 

柳田は本書で「祭」を通して、すでに述べた近代化以前、あるいは仏教伝来以前の日本の文化を読み取ろうとしている。

 

 日本の古層としての奇祭

  

 

本書は祭の解説書や研究書ではなく、旅行エッセイに近い。

しかしその文章は、まるで自分が主人公としてその場にいるかのようで、文学小説のようでもある。

 

写真家である著者の意図は、祭から「明治維新による近代化」や「仏教伝来」よりもさらに古層の「ヤマト以前」を感じ取ろうという点にある。

よって必然的に、稲作が伝わった南西側の日本よりも、東日本の祭が多く取り上げられている。

 

以上の祭について写真付きで紹介されているが、まるで自分が祭を観ているような感覚が得られる一冊だ。

 しかし残念ながら「祭に参加している感覚」は得られない。

それは本書が劣っているからではなく、著者によれば、それが得られるのは「その土地に生まれ育った当人」だけなのだ。